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アニメ監督は作家と呼べるか?「富野由悠季の世界」

富野由悠季の世界」、恐るべし。

美術館に物販含めて4〜5時間滞在したのは過去最長でした。

アニメ監督なので映像資料が多かったというのもありますが、設定資料やデザイン画、絵コンテ等の展示品の多いこと。

その中で紐解かれる演出手法や作品構成の巧みさ。

思い出のアニメの懐かしさに浸りつつ、さらに込められていた奥深さを知って新鮮な味わいが上乗せされる。

いやはや、濃密な時間でございました。

 

改めて解説されると、話の展開や画作りが作り込まれていることに感心します。

例えば、丸ごと上映されていたTV版「機動戦士ガンダム」第1話の完成度の高さ。

スペースコロニーで暮らす世界観を見せながら、敵の襲撃と主人公がそれに巻き込まれてガンダムに乗って勝利する。

短時間でこれだけの情報量を込めながら、最初から最後までワクワクしますね。

SF映画は世界観の説明だけで時間を費やしたり、逆に説明不足なことも多いというのに。

アムロが元々メカに詳しい描写と直前にマニュアルを拾うというステップを踏み、ザクに撃たれてもビクともしない性能の高さも描くことで、素人でも戦えるという流れを作る。 

(しかし性能だけでは駄目だと、第2話でシャアに喝破されるのですが)

一方で、冒頭ではアムロに対してお姉さんぽく振る舞うフラウが、逆に親族の死で弱気になったところをアムロが元気付けることで彼の成長を描く。

他にも色々ありますが、シナリオからくる必要性と、状況や人物の描写が巧みに織り込まれた構成は見事です。

個人的に、映像作品の情報密度が気になって評価してしまうのは富野作品の影響なのかも?

 

その他、演出や構成に注目されるシーンが抽出されて展示されています。

TV版「Z」と劇場版「Z」のラストを見比べてみるとか。「F91」冒頭のコロニー襲撃シーンの人の動かし方とか。

「∀」のラスト6分の穏やかさは何周も見ていたくなります。

そんなダイジェストをあれもこれも見ていると時間が経つのを忘れてしまいました。

 

もちろん展示はガンダム作品に限らず、初監督作品の「海のトリトン」から劇場版公開を控える「Gのレコンギスタ」まで網羅されています。

それらの並びもよく練られていて、富野監督の文脈が感じられます。

初期作品「海のトリトン」「勇者ライディーン」「無敵超人ザンボット3」からして実験的。

勧善懲悪ではなく、善と悪を逆転させたり揺らがせたり。

マジンガーZから続くロボットもののフォーマットを破り、1話完結しつつストーリーを深めたりロボットを科学の結晶ではなくオカルティックなものとしたり。

この3作で「主人公が戦いに巻き込まれ戦士として成長する」「善悪の相対化」「家族を含む群像劇」という骨子を確立し、その路線に続いて花開いたのが「機動戦士ガンダム」。

 

既存の作品の踏襲ではなく、新しい手法や構造、世界を見せようとする姿勢。

巨大ロボットを人体の延長ではなくヒトの手を超えるものとした「イデオン

舞台を地球外の遠い世界に求めた「ダンバイン」「エルガイム

一方でコミカルな「ザブングル」「キングゲイナー」も作り。

ガンダムシリーズは「Z」「ZZ」「逆襲のシャア」で一区切りして、家族の話として再始動した「F91」「Vガンダム」、全てのガンダム作品を包括する「∀ガンダム」、さらにその先を目指す「Gのレコンギスタ」。

 

それぞれに「なぜこの作品を作るのか」が考え抜かれていることに感嘆しました。

「∀」であれば、「ヒトは戦争を繰り返すのか、戦争の記憶を忘れていないか」ということを世界大戦の始まる前の産業革命の時代(に近い世界)から見直す。

「Gレコ」では、スペースコロニーという未来に至る前段としての軌道エレベーターを見せつつ、「無自覚に与えられるエネルギーを消費するヒトが、その背景に踏み込んでいく」という流れ。

この辺りはさらに情報量が多く、じっくり読み込むために、図録(400P超え)を購入。

 

取り上げられていない作品もありますが、時代(世界情勢もアニメ業界も)の流れを汲みつつデザインされていることに作家性の高さを感じます。

生まれた背景を知ると、また作品を違った味わいで楽しめそうです。

(こういうのがアートを楽しむ観点かな?)

過去作も見直したいし、集大成たる劇場版「Gレコ」も観たい!