民芸ブームの50年前の万博の展示を再現し、現代に民藝の価値を問い直す。
という「民藝の力」展を見てきました。
今時、だいたいの生活用品は100円で買える。
利便性を極めるなら、最前線はハイテク家電。
しかしそれらに手仕事の味わいはない。
温かみがあって歴史も感じられることの魅力は確かにあるもので。
そんな手仕事の魅力を見てみようと向かった展示の感想は、、、民藝品が並んでるだけ、かな。
おそらく各々に土地の歴史があるものなんだろうけど、詳しくないのでよくわからない。
こういうのは文脈を知らないと価値が見えない。。。
期待していた学術的な部分は、物販で見つけたこれで補完しようかと。
日本民藝協会の会報誌「民藝」の2019年8月号。
800号記念の特集は「民藝の現代的意義」
率直な感想は、、、民藝というより柳宗悦を讃えているような。
「民藝」の価値を見出した功績はわかりますが、それは「民藝」の価値そのものではない訳で。
本人の精神や理念を戦争論や宗教論に結び付けても、それは民藝の価値じゃない。
もちろん懐古録そのものも、ただの振り返り。
必要なのは、当時の柳宗悦がしたような「再発見」じゃなかろうか。
最も期待に叶ったのは柳宗理の寄稿「民藝の行方」。
「今や民藝店に並んでいる品物は、趣味的あるいは土産物的なものに堕してしまっている」
「純粋なものは、今日のグローバルなコマーシャル経済組織にはどうしても耐えることは出来なくなってゆくだろう」
「民藝はいずれはプロダクト・デザインに依る製品に発展的解消をするであろう」
「機械は今こそ質へ向かう手段であるべきである」
これ、1978年の寄稿文の再録なんですよ。
だというのに、これが最も「現代の民藝」について思慮深かった。
「手仕事に回帰しよう」という扇動でもなく、冷静に行方を俯瞰している。
次点は日本民藝協会フォーラムの議事録。
民藝を維持・発展するために最前線で動いている方の意見は重みがありますね。
「これからの民藝運動とは、民藝を価値を一方的に押し付けるのではなく、開かれた場を作り、異なる価値観を持つ他者と、民藝を介した交わりを持つこと」
もう日常に寄り添った品というより趣味の品に近いので、付かず離れずの距離感が難しいかな。
さて現代の民藝と考えると、落合陽一が作った「テクノ民藝」という言葉を思い出します。
個人の造語なので難しいところですが、国柄・土地柄に合わせてデザインされたITシステムと解釈しています。
当時の生活に密着して発展したものが「民藝」であるなら、現代の生活に密着して発展しているものといえばIT製品でありWebサービス。
現代の工具はキーボード、コードをタイプするのも手仕事と言えるだろうか。
先述の柳宗理の寄稿の最終段落。
地球上には限られた資源しか無いということが明確になった以上、機械に依るにしろ手造りに依るにしろ、人間生活に本当に役立つ質の良い物を造らねばならぬ。これこそ民藝精神が、未来に向かって健全に発展しうる道ではないだろうか。そして今後に本当の民藝と呼ばれうるものは、まさにこれではないだろうか。
「民藝品」ではなく「民藝精神」とすれば、デジタルもアリに思える。
温かみがあるかといえば、利用者の使い勝手や心地よさを目指す思いは人の温もりではなかろうか。
歴史が感じられるかといえば、それはこれから紡がれていくもの。
こういう言葉の分解再構築も面白い。
民芸品の良さも確かにあるんですけどね。