邦題:機動戦士ガンダムF91
公開年:1991年
製作国:日本
監督:富野由悠季
公式サイト:http://www.gundam-f91.net/
富野由悠季監督の舞台挨拶ということで飛びついてきました。
しかも上映されるのがF91。
ちょうど90年代、これとV・G・W・Xあたりで育ったので直撃です。
いやー、懐かしい。
取っ掛かりから「F91は観たくない」と飛ばしていましたが、監督の言葉を振り返りつつ作品を見ると、一段深く味わえました。
「F91とは、家族と戦争の物語」
前作「逆襲のシャア」までで「国家と戦争」を描いた。
しかし国家には大義があり、戦争を正当化できてしまう。
その対比として、「家族と戦争」をテーマにしたとのこと。
当時はあくまで子供心にエンタメとして観ていたので、そういう繋がりがあると知って新鮮。
「映画は恋愛モノである。しかし男女2人だけでは物語は生まれない」
映画は恋愛に限らないとは思いますが、後半の言は腹に落ちました。
近頃の映画には、恋する少年少女とその2人のための舞台装置しかない。
物足りなく感じていたのは、2人だけで話が広がっていかないからかもしれません。
「F91」は改めて観ても2時間とは思えない情報量ですね。
壊れる日常、戦争の悲惨さ、人間の強さと弱さ、主人公とヒロインの家族模様、そしてもちろんメカアクション。
全体的にダイジェスト版のようなスピード感の構成ですが、話はきちんと追えて楽しめます。
「家族は家族であり続けようとしなければ成立しない」
心に響きましたね。
主人公の家族は色々な事情を抱えながらも家族を大切に想っています。
逆にヒロイン側、鉄仮面のように我が子を傷つける父親は当時は空想だったが今では珍しくないのが残念とのこと。
しかし監督はそんな鉄仮面のキャラクターは気に入っているそうです。
ただし気に入りすぎると客観性を失って暴走してしまう。
鉄仮面も(クレイジーな)キャラクターとしての魅力はありますが、もっと内面や背景事情を掘り下げて欲しかったかなと。
ちなみに同様の暴走例としては∀ガンダムのデザインで、気に入っていたのに批判が多く、「何くそ」と言う反発心が作品に映し出されているそうな。
「当時は言えなかったけど、アニメーターの技術がすごい」
まずは冒頭の奇襲シーン、大量の人物がよく動く。
MSと人間が同時に画面に収まるシーンが多く、「ロボット兵器のある戦場」が生々しく描かれます。
そしてラストの宇宙服の回転。
言われてみると確かに凝ったシーンにしたものです。
しかしそれによって虚無のなかの2人という画でも単調にならず印象的に仕上がっている。
改めて観ると「よく出来た作品だなぁ」と思いましたね。
SFでよくありがちな世界観の説明だけで尺を取られすぎることもなく、世界も人物も物語も滑らかに広げていく構成は匠の技。
特に秀逸と感じたのは、主人公の妹のあやとりシーンですね。
あやとり一つで(思い出のカットインもなしに!)母娘の絆を描き、さらにそれがガンダム起動のキーになるという鮮やかさ。
ただ、前半の滑らさに対して、後半は駆け足気味かなと。
「最後はまとめきれず、2人が結ばれる感じで強引に終わらせてしまった」と技量不足を嘆かれていました。
その辺が「F91を観たくない」というココロだそうです。
まぁもともと序章として構想されていたことあり、敵が小物だと盛り上がらないし、大物にすると2時間で描ききれないというバランスが難しいとは思います。
2人の活躍の続きは漫画「クロスボーン・ガンダム」で!
改めてその作家性に興味が湧いたので「富野由悠季の世界」展にも行きたくなりました。
監督自身も「色々考えてやってきたんだなぁ」と感じ入ったという、富野由悠季の足跡が見られるそうです。
追記:
行ってきた!